大原富枝とは?

大原富枝幼少期の写真1912年(大正元年)9月28日、高知県長岡郡吉野村寺712番地(現本山町)に尋常小学校校長の父亀次郎、母米の次女として生まれる。
高知県女子師範学校時代に教室で喀血、以来10年間の療養生活を送る。
大原富枝の写真1941年(昭和16年)上京して文筆活動へ入る。
1957年(昭和32年)「ストマイつんぼ」で第8回女流文学者会賞、1960年(昭和35年)「婉という女」で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。
1970年(昭和45年)「於雪 土佐一條家の崩壊」で第9回女流文学賞を受賞。
また、1990年(平成2年)には勲三等瑞宝章を受章。1998年(平成10年)日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員となる。
2000年(平成12年)「草を褥に 小説 牧野富太郎」執筆・連載中、心不全で逝去。87歳。正五位に叙せられる。

年表

西暦 事項
1912 高知県長岡郡吉野村(現本山町)に次女として生まれる。
1922 10 母死去。
1927 15 高知県女子師範学校に入学。
1930 18 学校で喀血。入院。
退院後、自宅で10年近い療養生活。
1932 20 初めて投稿。
「姉のプレゼント」令女界に入選。
1938 26 「祝出征」を文藝首都に発表。
1941 29 創作に専念するため上京。
1944 32 帰郷。「野中婉」の書簡を写すため県立図書館に通う。
1957 45 「ストマイつんぼ-第七感界の囚人」で第8回女流文学者会賞受賞。父、急逝。
1959 47 「婉という女」260枚脱稿。
1960 48 「婉という女」刊行。
第14回毎日出版文化賞、次いで、第13回野間文芸賞を受賞。
1963 51 日本文藝家協会代表として中国を訪問する。
1965 53 日本文藝家協会代表として日ソ文学シンポジュウムに参加出席する。
1970 58 「於雪 土佐一條家の崩壊」で、第9回女流文学者賞を受賞。
1973 61 「婉という女」のロシア語訳が、ソビエト作家同盟で刊行される。
1976 64 キリスト教(カトリック)に入信。中目黒ミカエル修道院で洗礼を受ける。
1990 78 勲三等瑞宝章を受章。
1998 86 日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員となる。
2000 87 「草を褥に 小説 牧野富太郎」執筆・連載中、心不全で逝去。正五位に叙せられる。

 

 

大原文学の芽生え~代表作『婉という女』

大原文学の円熟~大原富枝文学館開館

「ゆうすげの花」